加持祈祷って、もちろん、ご利益ありますよね。
加持祈祷というと、仏教では、真言、天台、日蓮宗が主ですよね。
行者の力によるという考えは、何か怪しげですね。やはり、仏の力によって、ご利益があるのでしょう。
自身の行力によるという考えは慢心であると何かの本で読んだことがあります。そうだろうと思います。
では、玉城康四郎先生は、どうだったんでしょうか。
玉城先生は、先生を慕う方といっしょに坐禅されていたようです。先生はどのような考えで、そのようにされたかは私は知らないのですが、先生の体験されるダンマが、ほかの人に影響するということはありうるのではないかと勝手に想像します。
共時的現象として、いっしょに座っている他者に、ダンマが働きが生じやすいことが期待できるかもしれないと思います。
それが加持力といえなくもないですね。
加持力とは如来の加持力が本来の意味でしょうから、如来の加持力の体験が、共時的に、他者に加持力を働かせのに役立つことが期待できることはありえるのではないでしょうか。皆さんは、どう思いますか。
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