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自由気ままに、勝手に記す。 仏教のみならず、いろいろと。
http://i-otter.hp.infoseek.co.jp/kami/k_bti.html
チャームンダー Camunda インド
七母神の一。ヤマの妃とされる。痩せて骨ばかりの体で歯を剥き出し、舌を長く伸ばし、髪を逆立てている。墓場などの不浄な場所に住み、梟に乗る。不気味な笑い声を立てて魔神たちの闘争心を恐怖に変えてしまう。
又、人々の苦痛を引き受けるとされる。
カーリーとよく似た神にチャームンダーという女神もいます(図18)。ふたりの神は同一であると考える人々もいます。チャームンダーも恐ろしい神で、天然痘の神であるとも言われています。その姿はやはり痩せこけた骨と皮だけで、顔は骸骨のようで、乳房もひからびています。蠍とともに描かれることもありますが、蠍も天然痘と関係のある動物で、死と結びついています。森雅秀のHP「インドの宗教にみられる生死観(2)インドの宗教にみる死のイメージ」 http://web.kanazawa-u.ac.jp/~hikaku/mori/misc/lectures/%90%B6%96%BD%97ϗ%9D2.htmlより。
カーリーもチャームンダーもどちらも女神です。しかも母神、母なる神と呼ばれています。これはわれわれが持っている女神とか母なる神というものとはかけ離れた存在です。われわれが女神や母に求めるイメージは、美や豊穣、包容力、生命力などです。しかし、ここに描かれた女神の姿はその正反対です。死をもたらすものであり、その姿は血や髑髏、死体などで飾られたいわば死のイメージのオンパレードなのですが、このような神がインドにおいては中世以降、絶大の信仰を集めました。
最後の純文学書下ろし作品『深い河』は、インドへの数回の取材旅行の後に完成した。「母なる神を求めて 遠藤周作の世界展」展覧会構成 5.到達の地~救いの世界~ http://www.shibunkaku.co.jp/artm/shusaku/kousei.html より。
小説中にはヒンズー教の女神・チャームンダーの像が出てくるが、これは「印度人の苦しみのすべて」を表す像である。
長いあいだ人々が苦しんできた病気のすべてにチャームンダーはかかり、さらにコブラやサソリの毒にも耐えている。それなのにこの女神は、「喘ぎながら、萎びた乳房で乳を人間に与えている」のである。
清純でも優雅でもなく、美しい衣装もまとってはいない女神。むしろ、醜く、老いて、苦しみに喘ぐ女神像・・・この姿のなかに読者は、ヨーロッパの聖母マリアとは違った、〈苦しみの母なる女神〉を見る。遠藤文学の到達した〈救いの世界〉を知る。
『深い河』は、作者が最後の闘病生活に入る直前に脱稿した。そこには、人間の生と死を包みこむ〈大いなる命としての母〉が描かれた。