スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

究極の悟りの実現をめざすべきである

仏教の悟りの体験は、それをはじめて得た当人は、それを究極の境地であると受け止める傾向を持っていると思う。実際はそれは究極のものではなく、もし、その当人が悟りの体験を繰り返し得ようと行に専念し、実際にその体験を得ていくならば、それは究極のものではなく、さらに深まっていくものであると知るはずである。繰り返し専念し、行道し、体で探究していくことで、ついに、玉城康四郎のいう終地に達する。
終地に実現した当人は、これを究極のものと実感する。

以上は玉城康四郎が述べていることの受け売りである。が、実際、そうなる。

以下は私の考え。

終地には陥穽がある。それは究極のものではないから。
大乗経典の登場する報身仏こそ、究極の悟りを実現しているのであって、終地はまったくそうではない。
終地を得た人は、それに気づかないと小乗にとどまることになる。大乗のいう魔の境地である。
だから、その者は発心しなければならない。究極の悟りを得ようと願い、行道に専念しなければならない。
発心が何より大事なことになる。そうでなければ、小乗の阿羅漢、独覚と同じとなってしまう。
終地を実現し、発心し、報身の実現・仏に成ることをめざし、実践を開始することが仏乗に乗ることである。そして、その実現には途方もない時間をかけて修行してこそ得られるものである。当然、生きている間にとどまらず、死後の修行によっても継続される。それは浄土での修行、あるいは、普賢行によって。2つのどちらを選ぶのは個人の意思によってである。

以上のことは、このブログで繰り返し述べてきたことである。

と、久々にブログを書いたのだが、同じことを繰り返し述べているだけである。
スポンサーサイト
プロフィール

パン

Author:パン
玉城康四郎を尊敬する無宗派大乗仏教徒。一仏乗依拠。
終地の禅定を重視するが、多神教的であるアニマ・魂を尊重したい。また、自我の現実世界での役割も重視したい。
リベラル。無党派大衆運動を支持します。
会社員。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
04 | 2013/05 | 06
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
FC2カウンター
リンク
QRコード
QR
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

検索フォーム
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。