人は私自身がどうであるかどうかばかり見て、ダンマを実現しているかどうかを見ないのはなぜ?

人は私がどういう人間であるかどうかばかり見ようとし、ダンマを実現しているかどうかを見ようとしない。
そのような人に対して、大事なのはいったい何だろうか?と私は問いたい。

誰でも実現できる終地の禅定に入定し、如来と二人連れで道を歩むこと、それが仏道ではないのか?
人格がどうであるかは大切なことには違いない。常識に照らして言えばそうだ。いうまでもなく。

終地とは一体何であるのか、身をもって、探究するのがいちばん大切だと私は思う。それをせず、それを知らず、そのままにあれこれ考えて、それは意味があるのだろうか?大事なのは自身で探究することだろう。それしかないだろう。
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パン

Author:パン
玉城康四郎を尊敬する無宗派大乗仏教徒。一仏乗依拠。
終地の禅定を重視するが、多神教的であるアニマ・魂を尊重したい。また、自我の現実世界での役割も重視したい。
リベラル。無党派大衆運動を支持します。
会社員。

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