如来を思い浮かべる

今日も眠かった。いどうの電車内ではずっと寝ていた。こんな状態で瞑想はできやしない。
如来を思い浮かべる。そのとき如来に関わっている。凄絶に実感できなくても、関わっている事実には違いはない。この如来の実感を繰り返し修習するしかない。それによっていづれ実感も強固になっていくだろう。

昔のように戻したい。自分で言うのは全く変だが達人の域に戻したい。時を忘れて没頭しているのが達人ではないのではないか。私のそれは如来の実感の凄絶さと独活、瞬時に如来の実感に占有されること、である。はやくもとのそれを取り戻したいのだ。

終地は誰でも実現できるのだから、もはやそれは達人のそれとは呼べないだろうな。
さらに習熟するとどのようになるのだろうか。興味津々だ。できれば、我が身で実現したいものだ。
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パン

Author:パン
玉城康四郎を尊敬する無宗派大乗仏教徒。一仏乗依拠。
終地の禅定を重視するが、多神教的であるアニマ・魂を尊重したい。また、自我の現実世界での役割も重視したい。
リベラル。無党派大衆運動を支持します。
会社員。

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