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意生身と如来蔵

先の記事で、意成身と書いたのだけど、意生身のほうが、よく使うようなので、意生身を使うことにします。
意生身は如来蔵です。法身でもあります。本来は、法身、如来、ダンマだというのです。意生身は業熟体と同じですから、本来は、ダンマです。業熟体はダンマが通徹してやまないのが実情です。玉城康四郎先生がご指摘するとおりです。
これを自らの身体を持って、体験し、よく体をもって学び、十分にそれを体をもって頷くことが、不退転の境地、終地の実現です。これは大乗経典のいう、無生法忍(むしょうぼうにん、と読むようです)の実現です。この悟りは大乗経典が強調する菩薩の基本的な悟りのことです。
『十地経』では、第八地において実現されるといいます。
十地の菩薩は、私たちとは全く別の超人と思ってしまいます。経典もそのように描いています。しかし、仏道の実情、それを体験する者の実情は、業熟体ですから、もとの木阿弥の私のままに、実現するもので、超人どころか凡夫、つまり、普通の人です。玉城先生もそれを身をもって実現されたわけですが、元の木阿弥の先生のままであったろうと思います。これが実情です。その視点にたって、理解しないと、私たちはそれを理想として、自身の願望を投影し、はるかなる高みのものであると思ってしまいます。
はるかな高みは、一切の業熟体を絶滅し、法身を完璧に実現した報身仏である宇宙仏のことを指します。大乗の釈迦如来や阿弥陀如来のことです。その実現には、無限に近いほどのきわめて時間がかかるといいます。
われわれは、終地、無生法忍は実現できます。これを生身得忍といいます。この身において法忍を得るということです。これが仏道の基本です。

一切衆生悉有仏性と『涅槃経』はいいます。いいかえれば、衆生は如来蔵だというのです。一闡提(いっせんだい)という、仏教の言う極悪人は、成仏できないということがいわれたようですが、『涅槃経』はこれを否定し、一闡提も成仏できるとしています。
成仏させるものはダンマですので、そのダンマを誹謗してはダメだというのでしょう。ダンマを誹謗することは、仏教の最悪の罪とされていることは周知のことですね。
ダンマは法身であり、仏乗・一乗であり、涅槃であり、無上正等覚であります。
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パン

Author:パン
玉城康四郎を尊敬する無宗派大乗仏教徒。一仏乗依拠。
終地の禅定を重視するが、多神教的であるアニマ・魂を尊重したい。また、自我の現実世界での役割も重視したい。
リベラル。無党派大衆運動を支持します。
会社員。

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