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死を学ぶ

クリシュナムルティは死は愛だといった。
マザー・テレサも自己放棄は愛だといった。
大乗も、身命財を捨てることが法身を得ることだという。
われわれは、日常において、自己犠牲や身命財を捨てることは普通の人には到底できないだろう。もちろん、私もそうだ。

しかし、われわれは、祈りや禅定においては、比較的に簡単にそれをすることができる。
禅定とは、自己放棄であり、何もしないことだ。それがそのまま、玉城康四郎のことばでいう、如来のひとり働きとなっている。法身が働き、輝き光る。
だから、禅定とは死を学ぶことである。死は愛であり、涅槃であり、法身である。
禅定において、死を学ぶことは、浄化でもある。ひたすらの浄化である。われわれを清めてくれる。捨念清浄とはそのことである。われわれはその清浄をありがたく身に頂戴すべきである。
このことはわれわれのようなごく普通の人間にも可能である。これはとてもありがたいことではないか。弥陀の力はすべてのものに至り届いている。いかなるひとも救われる。いま、この身をもって、そのことを知ることができるのだ。
われわれもそうしよう!ひとりでも、多く人がそれを身をもって知ることができるようにと切に願う。
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プロフィール

パン

Author:パン
玉城康四郎を尊敬する無宗派大乗仏教徒。一仏乗依拠。
終地の禅定を重視するが、多神教的であるアニマ・魂を尊重したい。また、自我の現実世界での役割も重視したい。
リベラル。無党派大衆運動を支持します。
会社員。

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