スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

如来の御心を学ぶ

イエス・キリストは、「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」と。富める者に対し、「貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」と。

なるほど。すごい。感動しますね。
仏教にも布施によって功徳を積み、来世は、善いところに生まれると。

イエスは「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」と。
これは親鸞にも通じますね。如来の本願力によって救われる、と。

信仰さえあれば、何をしても、救われるなどと、自分の強欲を肯定するための都合いい解釈すれば、すごい罰当たりな感じがしますね。

如来もゴッドも、あらゆる人の幸福を願われているのてはないでしょうか。特に、貧しく、苦しんでいる人を愛されるのではないでしょうか。

信仰があれば、神の国や浄土に行けると思うのは、ある意味怖いですね。独善的なにおいがする。
聖書や経典の教えに従えばよいというのは、怖い感じがする。
ゴッドや如来の御心に少しでもかなうようでありたい。ゴッドも如来も人の知恵を超えている。従うことなどできないほどに。
われわれはゴッド・如来をありありと体験することができる。ただそれだけ。
それをひたすら頂戴するのみ。
われわれはそれを通して、ほんの少しだけ、如来・ゴッドを知ることができるが、その智慧を理解することはできない。それは経典や教義を超えている。
教えを理解して、信仰に従っていると思っているとすれば、傲慢ではないか。

如来・ゴッドをありありと体験して、ひたすら、その働きを頂戴する。その学びを通して、本来の信仰を深めていく。われわれは決して、その智慧を知ることができず、その智慧を仰ぎ、尊重するのみ。仏道では、究極の目標に、その智慧の実現を目指す。それには、途方もないほどの時間をかけた修行が必要であるというのである。
それをはるか先に目指しつつ、如来を体験し、学んでいくこと。この体を通しての学びが大切のではないかと思う。そのなかで、如来の智慧の不可思議さを実感するのではないかと思う。

さてさて、お金持ちの人には、ぜひとも、貧しい人にお金をあげてしまうのがよいのではないでしょうか。それが、如来の御心に適うことであると思いますが…。
それがどうであるか、ご自身で、如来を体感されて、学んでみてはどうでしょうか。

貧乏な私から、嫌味な一言で憂さ晴らしです(笑)。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

パン

Author:パン
玉城康四郎を尊敬する無宗派大乗仏教徒。一仏乗依拠。
終地の禅定を重視するが、多神教的であるアニマ・魂を尊重したい。また、自我の現実世界での役割も重視したい。
リベラル。無党派大衆運動を支持します。
会社員。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
FC2カウンター
リンク
QRコード
QR
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

検索フォーム
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。