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やっぱり、ダメとは思っていたが…

今日は、ある仏教の勉強会に参加した。
先月に参加したものと同じもので、前回同様、その内容は、私にとっては、大変残念なものと感じた。
次回は、もう参加する気にはなれない。私と考えが違いすぎるので、我慢ができないと感じる。克己心がないな、と自分のことを思う。しかし、やはり、その大きな違いに強い違和感を感じてしまう。
とりあえず、しばらく、距離を置くのがよいのかもしれない。

今日は、『維摩経』の学習会でしたが、私は仏乗に基づくので、大乗の説く最上の悟りをあのような理解をして、人に説くことは、謗法に思える。それを聞き、とても我慢ならない。
小乗の阿羅漢の悟りを得ないで、一歩手前で、留まるのが菩薩であるとは、これは驚きである。というより、従来、このような見解が一般的である。しかし、これは大変愚かな考えで、如来に唾するものと思える(少し過激な言い方ですが、許してください)。ダンマの顕現を全く知らないから、平気でそんなことが言えるのだろうと思う。何より、どうかしていると思うのは、玉城康四郎の教えに基づくといいながら、全く、その教えを無視し、というより、無意識であろうと、完全に否定して、自身の仏道観をただひたすら述べていることだ。玉城仏道を全く理解できないで、玉城仏教に基づく学習会とは、救いようのないほど恥ずかしさだ。単なる趣味の会、同好会であるなら、それで全然かまわないだろうけど、ある程度権威があるのだから、そのようであってよいはずもなく、許せないのだ。
もう知らない。勝手にしなさい。

私はあえて、そこでは反論もしないで、黙っていた。
その参加者が、それでいいと思っているなら、私がその穏やかな雰囲気をぶち壊す必要はないだろう。

とても、とても、怒っているので、このブログで憂さ晴らしをさせてもらった。本当はもっといいたいが、ここで止めておきます。
あ~あ、嫌になっちゃう。如来さま、何とかしてください!お願いします!
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プロフィール

パン

Author:パン
玉城康四郎を尊敬する無宗派大乗仏教徒。一仏乗依拠。
終地の禅定を重視するが、多神教的であるアニマ・魂を尊重したい。また、自我の現実世界での役割も重視したい。
リベラル。無党派大衆運動を支持します。
会社員。

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