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如実知見とはどういう意味だろうか

先のエントリーの続きして、井上ウィマラさんの本で、気になったことをもうひとつ挙げておく事にする。断っておきますが、井上ウィマラさんの本は通読していないで、ぱらっと見た程度で、井上さんの批判を目的とはしていない。

井上さんは、如実知見を大事にしているようだ。
私は大乗経典に基づくので、如実知見は如来のみであると考える。
如来を原始仏典のブッダと誤解する人が大半であるが、玉城はそう説いていない。それを否定し、如来とは絶対他者・超越者と捉えている。(これをわざわざ説明するのは正直しんどい)

原始仏典のブッダは、無明であり、もとの「私」のままであると見なすのが大乗経典の立ち居地である。このことは、どんな仏教書にも説いていないと思う。私が勝手に言い出したと思われるかもしれないが、大乗経典はそう説いていると私には思える。だから、そう説く。

如来は平等である。先のコメントを下さった、ももさんの「本当の世界は如来に包まれて自他平等」は、大変申し訳ないが、私は完全に否定する。

如来は世界を包み、かつ、通徹しつづけてやまない。
如来・法身・涅槃(いずれも同義)は平等であり、それは分別できない。如来は世界をあまねく照らす。それを平等といっていい。しかし、如来と一体になった「私」は、平等ではない。自他分別の私にほかならない。

如来との一体感を神秘体験として見下すという見方も可能ではある。しかし、第三禅の楽に留まり、ダンマの顕現に至らないことを経典は警告しているのであって、ダンマの顕現をもし、神秘体験として、退けるならば、玉城の言う悟りの体験を完全否定していることになる。これだけは、はっきり言っておきたい。

玉城の達した最上の境地「終地」の達する人が、万能感によって、あるがままに見、知ることができる、自認するならば、このブログで何度も、強調してきたように、思い上がり・慢心である。

いくら、その人が穏やかで、謙虚であっても、如実に知ることができると思うことが慢心であると大乗経典は強調して説く。誤解のないようにいっておくが、できるだけ、現実を知っていこうとする姿勢が大事なことはいうまでもないことだが、それができないのが、ごく普通の人間の実態ではないのか。

私が、このことに、きわめてこだわるのは、悟りを得たと言う人が、そのような陥穽に陥り、その過ちに気づかず、他人にもその害を及ぼすことがあることを見ているからである。

玉城は終地を実現した。その玉城を尊敬する。同時に、彼をどこにでもいる学者のおじいちゃんにすぎないとも思っている。私のなかで、それは矛盾しないどころか、当たり前のことであると思っている。
しかし、俗説は、悟りを体験すれば、人格が転換するとか、智慧が開かれるとか、悟りの実態を無視した、自身の願望を投影した像として理解されている。これでよいのかと強く思っているが、そのような理解をする人たちに説得してもほとんど意味はないと感じている。玉城仏教に共感する人たちでさえ、そのような俗説から抜け出ていないことに愕然とさせられているわけで、歴史の示しているように、ダンマの相続の困難さを実感せずにはいられない。

また、如来との一体感は万能感であることは、もちろんのことであるといっておきたい。その第三禅の楽が深まって、ついには、解脱が得られる、と玉城は言っている。玉城の原始仏典の理解である。井上ウィマラさんの説いていることと、違うのではないか。

その違いは別にかまわない。どう理解しようと、個人の自由だ。
しかし、ある権威を持つ人が、玉城仏教に基づくと口で言いつつ、どうしたわけか、井上ウィマラさんの説いていることに影響され、混同してしまうことは、きわめて問題であると思う。玉城仏教ファンの私として、感情的に、許せない。繰り返しになるが、その彼にうらみはないし、一応、私の仏教観は伝えることができた。それで充分である。なお、彼はとても人柄がよく、私は彼のことがとても好きである。残念なことに、遠隔地に行ってしまった。彼とは議論を深めることができたのではないかと思っていたのに…。とても残念だ。

その怒りの感情を込めて、書いた。
やはり、その混同をそのまま放置しておくわけにはいかない。

それはおまえの「エゴ」だろう?如来は平等なはずだ。お前は平等ではないが、どうなのか、といわれても、私は如来ではなく、ごく普通に生きる人間だし、聖人のようになりたいとも思わない、と答えるだけだ。
このブログでも、それを強調して書いてきた。

わかる人にはわかると思う。そう思って、難しいことでも、書いてきたつもりである。
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プロフィール

パン

Author:パン
玉城康四郎を尊敬する無宗派大乗仏教徒。一仏乗依拠。
終地の禅定を重視するが、多神教的であるアニマ・魂を尊重したい。また、自我の現実世界での役割も重視したい。
リベラル。無党派大衆運動を支持します。
会社員。

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