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無生法忍と終地

無生法忍とは大乗経典の説く、仏道者が実現すべき基本的な悟りの境地のことです。無生なるダンマに安住し、徹底した境地です。玉城康四郎先生のいう終地の境地と同じです。終地とは何かについては、http://blog.goo.ne.jp/jd6j5rlure09f3/e/355ef9a89f0634dc0974867ec2d2aec3を参照ください。

この終地は原始仏典のブッダも実現したし、玉城先生もそうです。親鸞もそれを実現しました。親鸞のいう自然法爾の境地です。これは不退転の境地でもあります。『十地経』の第八地の境地に相当します。ただし、この点注意すべきことがありますが、ここでは述べません。ざっくりとした理解はそれで、いまは、十分であると思います。

終地である無生法忍を得た人は、もちろん、業熟体のままです。つまり、元の木阿弥のまま。元の私のままに、ダンマに安住し、徹底しているのです。業熟体は意生身と同じです。サトル・ボディ、微細身、幻身などといわれています。また、これは魂ともいえるようです。玉城先生もそのように述べていますね。
輪廻転生する主体である業熟体・魂は、ダンマ・如来ととも二人連れとなって、究極の完成へと向かって、仏道を歩んでいくのが終地です。無生法忍の悟りを得ても、それを最高と誤認してはならないことになります。これを最高と看做して満足してしまうとすれば、それは小乗の阿羅漢、独覚と同じであると『十地経』は説いています。終地が仏乗であるのは、その意味によります。ですから、終地は仏道の根本ということになります。小乗、大乗の区別は本来なく、仏乗しかありません。一仏乗です。これが基本です。『法華経』はそれを説いています。終地の実現は仏道のスタートラインに立つことを意味します。われわれは、とりあえず、この基本である終地を実現するように学ぶ必要があるでしょう。
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パン

Author:パン
玉城康四郎を尊敬する無宗派大乗仏教徒。一仏乗依拠。
終地の禅定を重視するが、多神教的であるアニマ・魂を尊重したい。また、自我の現実世界での役割も重視したい。
リベラル。無党派大衆運動を支持します。
会社員。

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