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「自分がなしている意識がない」?!

「自分がなしている意識がない」、これを「無我」というのでしょうか。私からすれば、驚きです。これこそ、自我肥大です。

もし、このような意識となったとして、それを得た人は、玉城のいう悟りの獲得であると見なしてしまうのだろうか?

ある種の神秘体験であろうと、玉城の言うダンマの顕現の体験であろうと、それを得た人には、必ず、自我肥大の危険があるのだと、私は以前、強調して述べた。

どういうつもりか知らないし、関心もないが、「自分がなしている意識がない」という人は、既に自身を失い、自我肥大の真っ只中にあるように私には思える。

ラマナ・マハルシの教えの本を読んでみると、ラマナは、玉城康四郎のいうダンマの顕現を得ているように私にも思える。彼もそれに似た表現をしている。「私」などない。あるのは「アートマン」だけだと。

アートマンに住するラマナが説法しているのは、ユングが指摘するとおり、アートマンではなく、ラマナの「自我」にほかならない。このことはラマナを過剰に神秘化してみない人から見れば、明白であるだろう。ユングは、そのような批判はしても、ラマナがアートマンに最高度に徹底している事実も認めている。ユングのすばらしさはその点にある。

結局、アートマンに住するラマナが説法しているということにほかならない。
アートマンは「無我」といいなおしてもよい。しかし、常に、この「無我」ということばそのものからして「自我」というものを無視しまいかねないものなのだ。
よって、「自分がなしている意識がない」、これを「無我」といい、「自我」かあるにもかかわらず、「自我」がなしているという事実を無視して(実に驚くべきことだが)、それがまるで、神や如来がなしているかのようなことと見なしてしまう。それを見なしているのは、ほかならぬその人の「自我」になのだが、それに気づかないのだ(実に驚くべきことだが)。
これは非常に滑稽に見える。だから、宗教はダメなのだといわれる。私もまったくそう思うし、そんなことではきわめて困るのだ。

このような高慢心(いくら表面上、謙虚であろうと関係しない)を抱くことに陥ってしまうと、もはや病気だ。こうなると、誰も助けられない。そのように一生、生きるのだろう。一人でひっそり生きるなら、それもいいかもしれないが。他人にそれを勧めるのは、やめてもらいたいと私は思う。

そのような人が権威を持つようになると、人に対して、悟りの許可を与えるようになる。そうして、負の連鎖がはじまる。実に、バカバカしいことだ。

たとえ、玉城康四郎のいうダンマの顕現の体験を確かに正しく得ているとしても、そのような陥穽を陥ってしまうと、人間であることを忘れて、神や如来の座に座り、神や如来のようにふるまう。これは大変危険なことだ。
単なる、何のこともない人間が、神・如来であるかのように振る舞うのだ。もっと悪くなれば、他人に自身を絶対視を求めるようになる。このような恐ろしい状態は、われわれの社会に対し、ときに恐ろしい影響を与えてきたことは、過去の歴史の事実や現在のそのような事実を見れば、明らかではないか。

正しい悟りを得れば、魔境には無縁など平気でいう奴は、最も信用ならないと私は常に思っている。残念なことに、そのような人間が多い。本当に酷い有様だ。

たとえ、玉城康四郎のいう、終地に達しようと、その人はその人のままなのだ。
どうして、そのような普通のなんでもない人を絶対視しようとするのだろうか。玉城でさえ、人に自身を絶対視を求めなかった。玉城も普通の人間だ。

絶対視しようとする人は、玉城の誤りを無明、業熟体のためであるなどと見なすだろう。バカな考えだ。彼の自我が間違いを犯しているのだ。玉城自身がそれを自覚していたかどうかは別にして。
もちろん、無明・業熟体の影響を受けることがある。しかし、自我の責任であることを無明・業熟体のせいにしていいはずがない。このことに理解が及ばない人が多いようだ。私が悟りの体験者の自我の存在を指摘するだけで、拒否反応を起こす。通じない人には通じない。勝手にしなさいだ。

何度もいう。終地を実現しても、その人のままである。
仏道とは、如来とともに、その人のままに、歩んでいくこと。それは特別なことではない。ごく平凡なことだ。ただ、なめてはいけない。終地を実現することは、全身全霊をかけて究明しようと本気で取り組まない限り、難しい。しかし、玉城康四郎がいうように、誰もが実現できるものなのだ。玉城を権威化するよりも、玉城が実際生きたこの道を自らも身をもって探求していくことこそが、この道を同じく歩もうとする人たちに求められているのだ。
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プロフィール

パン

Author:パン
玉城康四郎を尊敬する無宗派大乗仏教徒。一仏乗依拠。
終地の禅定を重視するが、多神教的であるアニマ・魂を尊重したい。また、自我の現実世界での役割も重視したい。
リベラル。無党派大衆運動を支持します。
会社員。

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