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性のエクスタシーとダンマの顕現

以前、『理趣経』を採り上げ、性と瞑想の類似について、また、性を特別視するのは適切ではないと説明したが、また、これを採り上げてみることにする。

セックスによるエクスタシー・絶頂は、忘我であり、自我はその中心となっているわけではなく、その絶頂が中心となっている。それから次第に醒めても、その解放の安楽がある程度続くであろう。いうまでもなく、男性より、女性のほうがその強度は強いらしい。私は男であるので、その体験によってしか語れない。

では、ダンマの顕現の体験はどうであるのか。心(しん)がその専念できわまって、ついに、ダンマの顕現となる。それは忘我であり、ダンマが中心となって働いている。その興奮状態から次第に醒めると、その安楽がある程度続くのである。このことは、玉城康四郎が述べている通りである。

前者と後者を比較してみると、同じようであることがわかるであろう。
不思議なことに、そうなっているのである。

両者が似ていることから、両者は同じものと思ってならないことは当然のことである。

かなり昔、私はセックス・ヨーガを説く、著名なインドの宗教者の本を読んだことがあるが、それを特別否定するつもりはないが、そのヨーガによって解脱に達するといっていることには、まったく同意できない。両者は別である。
ただし、性の奥深さから、何か宗教的なものを体験し、深めていくということは、もちろん、ありうるだろうと思う。それは世界各地に性を宗教的な儀式として使用していることからもわかるだろう。性は宗教に通じるものというのは、いまさら、いうまでもないことであろう。私には、そのような儀式に参加したことはないので実態がどのようなものであるかは知らない。

ダンマの顕現の体験が、どのようなものであるのか、セックスの絶頂を例にして説明すると、その体験を知らない人にも、何となく、どんなものなのか、理解できる余地があるかもしれない。もちろん、体験しなければわからないものである。無我と絶頂という点が同じであること。また、リアルに体験できるものであるということがわかるであろう。

仏教は性を否定してきた歴史があるが、性は仏道を歩むのに妨げになることはない。反対に、それを否定したり、拒絶するほうが、もっと問題である。それを妨げることになる。
人間性、動物性、自然性をわさわざ拒絶するほうがおかしいでないか。

仏道はその人ままに、如来とともに歩むことである。それは日常においても可能となる。
では、セックスのときも可能となるのか。変な問いであるが。
もちろん、そうしようと思えば、ある程度、可能ではないかと思う。
しかし、わざわざ、そうする必要性があるとは私には思えないが。
もし、そんなことして、菩薩顔で超然としていたら、パートナーに怒られるのではないかな?(笑)

日常においても、比較的心が静かであれば、如来とともにいることができる。
自我が活発となれば、そうはいかないだろう。仕事をしているとき、遊んでいるとき、それに専念しているとき、そうはできないし、わざわざそうする必要もないだろう。

「いや、そんなんじゃダメだ。行住坐臥、そのようでなければならない」と思う人は、それができるような環境にいないと難しいのではないか。宗教者などになるとかして。

行住坐臥、そのようでいることが、本物であるとは私は思わない。それは一つの道でしかないと思う。それは浄土の住人として生きることになるのではないか。この世から離れてしまう。それがよくないといっているのではまったくなく、そのような生き方もありなのだと大乗経典は教えているのだと思う。

現実の世界で、ごく普通の人間として、ごく普通のままに、如来とともに仏道を歩むこともその一つである。
それは特別なことではない。誰にでも可能である。
僧としての戒を守ることなく、現実の世を楽しみ、性を楽しみに生きることは、仏道者として堕落しているという見方が世間にある。その見方はまったく見当はずれなことである。
仏道はその人のままに、如来とともに生きることである。それが根本である。
それができていないほうが仏道者としての本来のすべきことを放棄した堕落にほかならない。

性のみならず、すべては本来、空である。本来、不生不滅の法なのである。
どうして、性を殊更に否定し、拒絶するのか。
仏教は女性性・アニマとの関わりがうまくいっていない歴史がある。それでよいはずはないだろう。
女性、大地、自然などとの関わりを大事にしていくことが、これからの仏教に求められていることではないだろうか。
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プロフィール

パン

Author:パン
玉城康四郎を尊敬する無宗派大乗仏教徒。一仏乗依拠。
終地の禅定を重視するが、多神教的であるアニマ・魂を尊重したい。また、自我の現実世界での役割も重視したい。
リベラル。無党派大衆運動を支持します。
会社員。

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