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戦死者追悼問題と国家神道について

宗教研究の現在と東アジアの視座――戦死者追悼問題と国家神道の概念を手がかりとして――島薗進先生。『島薗進・宗教学とその周辺』ブログより。

韓国や中国と日本の間で相互理解がたいへん難しい問題である、戦死者の追悼の問題を島薗先生は取り上げて論じている。

以下、私が印象深く感じたところを引用し、考えてみたい。
「多くの伝統仏教教団、新宗教教団の立場で、キリスト教徒の一部も支持している。それによると新しい追悼施設は今後、戦争や紛争で死亡する兵士を国家が顕彰する新たな施設となる可能性があり、戦死者を国家が美化して戦争を正当化する可能性をもつもので好ましくないとする 。「新たな靖国」だとして警戒する人もいる。」
私もその見解に同感する。その靖国とはいかなるものか。

「日本の宗教史に通じた多くの論者は、靖国神社のように味方の死者だけを慰霊するやり方は近代になって作り出されたものであり、伝統的な慰霊の精神とは異なるという 。伝統的には味方の死者の霊を尊ぶとともに、敵方の死者を慰霊するという例が多い。一三世紀に蒙古が北九州に押し寄せ、多数の死者が出た時は敵兵の霊を弔ったし、一六三七年に徳川幕府が制圧した島原の乱の際もキリシタン一揆側の霊を祀った。これに対して、靖国神社は明治維新の変革に際して、天皇側に立って戦って死んだ兵士のみを祀り、敵方の死者はまったく顧慮しないというやり方で一八六九年に設立された東京招魂社が一八七九年に改称されたものである。国家のために戦ったと信じていても、天皇側につかなかった者は慰霊に値しないものと見なされている。日清戦争や日露戦争のように他国と戦うようになると、敵側の死者はまったく顧慮されなくなった。」

靖国神社は味方の死者だけを慰霊するものであり、伝統的な慰霊の精神とは異なっている。天皇側に立って戦って死んだ兵士のみを祀り、敵方の死者はまったく顧慮しないというやり方で一八六九年に設立された東京招魂社が一八七九年に改称されたものであるという。
次に、仏教のやり方はどうなのか。

「仏教の立場からは、かつての日本の戦争にまつわる慰霊は仏教の「怨親平等」の観念にのっとっていたとする。「怨親平等」とは「戦場で死んだ敵味方の死者の霊を供養し、恩讐を越えて平等に極楽往生させること」 とされる。だが、このような慰霊のあり方は仏教よりもっと理念化の度合いの低い民俗宗教の次元の信仰と関連づけて理解する必要もあるだろう。日本では古代以来、不幸な死に方をした人物、とりわけ政敵に滅ぼされた政治家や武人の霊の祟りを恐れる信仰が強かった。一〇世紀になると恐れられた霊を鎮めたり、さらには神として尊ぶという「御霊信仰」が成立し、その後、あらゆる階層の人々に強い影響を及ぼすようになる。祟る霊を鎮める信仰や御霊信仰は仏教によって排除されるのではなく、仏教はむしろそれを保存し助長したとも言える。」

日本の戦争にまつわる慰霊は仏教の「怨親平等」の観念にのっとっていた。このあり方は民俗宗教の次元の信仰に関連している。不幸な死に方をした人物、とりわけ政敵に滅ぼされた政治家や武人の霊の祟りを恐れ、それを鎮め、尊ぶという「御霊信仰」である。仏教はそれを保存し助長したという。
「御霊信仰」は日本独自のものではなく、東アジアに共通の死霊をめぐる信仰パターンであるという。以下にそれが説明される。

「このように敵の死霊を恐れて祀るという伝統は、日本の宗教史の中できわめて大きな位置を占めて今日に至っている 。だが、これは日本に固有の信仰だろうか。むしろこれは東アジアに共通の死霊をめぐる信仰パターンの一つであり、その日本的な現れと見るべきではなかろうか。たとえば韓国で「恨」とよばれる観念は、「死霊を恐れて祀る」という信仰伝統と通じるところはないだろうか。
 東アジアでは深刻な争いや葛藤という人間世界の悪を、はらすことのできない思いを抱いて死んだ死者の霊に託して考えるという宗教伝統が共有されている。これはそもそも死者を身近に感じ、死者とともに生きるという感覚を強くもった文化ということが基礎にある。日本では先祖は必ずしも恐れられる霊ではなく、むしろ安定した地位をもってこの世を守護する霊として観念されることが多い。だが、そのような守護の祖霊とともに不幸な死に方をして、多くの思いをこの世に残した死者を恐れ尊ぶという信仰も根強いのである。」

日本と、東アジアに共通の死霊をめぐる信仰パターンである、はらすことのできない思いを抱いて死んだ死者の霊を恐れ尊ぶという信仰を、日本の戦死者の追悼のあり方とする場合、東アジアの理解が得られるものとなる可能性があるものといえるようだ。そのあり方のひとつとして、千鳥ヶ淵戦没者墓苑があるだろう。

 「このことに関わって、仏教や新宗教の教団に属するいくつかの教団の人々が、靖国神社ではなく千鳥ヶ淵戦没者墓苑を尊び、こちらの施設をこそ公的な施設として重視すべきだと論じていることは注目すべきことである。千鳥ヶ淵戦没者墓苑は一九五〇年代に、海外に残された日本の兵士等の遺骨を集める活動が活発になるにつれ、誰のものかわからぬ遺骨を葬る施設が必要となって一九五九年に竣工した国立施設である。その後、宗教界の中には第二次世界大戦の死者を追悼する行事をこの施設で行うようになった団体が少なくない。靖国神社よりも千鳥ヶ淵戦没者墓苑の方が、日本の戦死者追悼の伝統になじむものだと感じている人が多数いることは注目してよい。」

宗教界の中には千鳥ヶ淵戦没者墓苑で追悼する行事を行うようになった団体が少なくないこと。靖国神社よりも千鳥ヶ淵戦没者墓苑の方が、日本の戦死者追悼の伝統になじむものだと感じている人が多数いること。これは日本の宗教界にとっても、相互理解が可能になっていることを示しているように思う。

次に、靖国神社がもっていた国家神道の中心的な施設としての機能について説明する。

「日本の多くの住民にとってより重要なのは、戦前の靖国神社がもっていた国家神道の中心的な施設としての機能についての記憶だろう。靖国神社は国民が国家を神聖化する信念体系にいやおうなく方向づけられ、暗い戦争へと引きずり込まれていく際に巨大な役割を果たした。天皇のために自らのいのちを投げ出すことこそ国民の義務であり、それを実践した人々こそ理想的な国民であるという考え方は靖国神社の祭祀と結びついて広められた。」

天皇のためにいのちを投げ出すことを尊いと思う人々と、それは欺瞞的に仕組まれたもので、日本を誤った海外侵略と戦争に押しやり、多数の国民に犠牲を生み出したと考える人々がいることを説明している。

 「靖国神社に祀られることを期待し、天皇のためにいのちを投げ出す立場に立って犠牲を払ったと感じる人々、自らに近しい人々が国のために犠牲の死をとげたと信じる家族、またそうした犠牲を尊いと思う人々にとって、靖国神社は今も聖なる施設としての地位を保っている。だが、他方、天皇のためにいのちを投げ出すというような信念や行動が欺瞞的に仕組まれたものであり、多くの国民に犠牲が強制され、日本を誤った海外侵略と戦争に押しやったと考える人々もいる。そうした人々は、靖国神社こそ近代日本人が道を踏み誤るのに貢献した宗教施設の最たるものだと考える。靖国神社に公的な地位を与えることは、このような近代日本国家の誤った歩みを再肯定することであり、国内外においてその犠牲になった人々の思いを顧みないものであり、今後の日本にとっても危うい方向を指し示すものであるとうけとめている。」

次に、国家神道が国教的な地位をもって、それ以外の宗教を従属化させ、あるいは、弾圧し、国家神道に染められていくものがあったと説明する。

「戦前の日本では国家神道が国教的な地位をもっており、それ以外の宗教は従属的な地位に置かれていた。独自の信仰を守ろうとする新宗教やキリスト教の諸教団に対しては厳しい弾圧が加えられたし、妥協的な姿勢をとる諸教団は次第に自ら国家神道になじんでいき、国家神道体制の一翼を甘んじて担うようになっていった。戦前の日本で精神の自由が失われたとすれば、それはこのような信教の自由の剥奪にこそ集約的に現れたと言えるだろう。現代日本においても信教の自由を脅かしかねない国家神道の復活が危惧される。首相の靖国神社への参拝はまさにそうした国家神道の復活の大きな一歩となるだろう。これは浄土真宗など一部の仏教徒やキリスト教徒がとくに強く主張する論点である。」

国家神道とは何か。島薗先生は広義の国家神道として理解する。

「だが、そもそも国家神道とは何を指すのだろうか。日本の学界ではこのことをめぐり、明確な定説がない状況が続いている 。一方には、国家神道という語を狭く「国家と特別の関係をもっていた戦前の神社群」という意味で用いる人々がいる。この場合、「宗教」とは特定の施設や人的組織をもった集団が基礎となるものと理解され、「神道」もそのような「宗教」の一つと考えられている。しかし、国家神道とは天皇がこの世を治める中心的な神の子孫であり、神の国である日本の精神的指導者であるとする信念やそれをめぐる実践の体系であると広く理解する人々もいる。私は国家神道という語をこの広義で用いるという立場だが、その場合、天皇が行う儀礼や天皇が神聖な存在であることを国民に印象づける行事や言説などは、神社と関わりが薄くても国家神道の重要な要素ということになる。」

広義の国家神道において、重要な役割を果たしたのは小学校であるという。

 「広義の国家神道において、神社にもまさるとも劣らぬ重要な役割を果たしたのは小学校である。小学校では天皇が定め、国民の守るべき道徳的教えの根幹を示したとされる教育勅語が神聖な文書として繰り返し唱えられ、暗唱させられただけでなく、聖なる存在として礼拝の対象にさえなった。各学校では教育勅語とともに天皇の肖像も神聖な事物として尊ばれ、火事の際などそれを守るために命を失う教員や職員すらいた。国民の祝祭日は天皇の誕生日を初めとし、天皇家や皇室神道に関わるものが大部分だった。学校での大きな行事の際には、天皇を神聖な存在として讃える歌が歌われ、修身だけでなく、歴史や国語の授業でも天皇の存在を神聖視する内容が多々、含まれていた。」

戦後、靖国神社は一宗教団体となり、国家が戦地に送り出して死んだ戦没兵士の全体を、国家が追悼する施設は失われた。しかし、広義の国家神道はいまだ存続している。それは天皇制であり、靖国神社の存在である。現代日本は表向き政教分離ではあるが、潜在的に国家神道の要素を保った社会と見ることができるという。

 「靖国神社はこのような広義の国家神道において中心的な位置を占める神社の一つである。国家のために犠牲となって死んだ兵士を、天皇が神として祀り、その功績を顕彰する宗教施設だったからである。兵士たちの中には靖国で再会することを約束し合って死んでいく者も多く、遺族は靖国に参拝することで国家のために犠牲となった近親者の喪失の悲しみを、何ほどか償われたと感じたのだった。靖国神社は一九四五年の神道指令によって、一宗教団体に過ぎず、国家との関係を絶つべきものとされた。これによって戦後の日本では、近代国家が戦地に送り出して死んだ戦没兵士の全体を、国家が追悼する施設は失われたのである。それは国家神道が解体されたことの帰結の一部だった。
 だが、広義の国家神道は第二次世界大戦後も完全に廃棄されたとは言えない。天皇が「国民の象徴」として、一定の地位を保ったことはその大きな要因である。天皇をめぐる神道的な儀礼がマスメディアで報道されるとき、日本の市民は国民的行事としての国家神道行事に参与していると言えないこともない。また、靖国神社が廃棄されなかったので、戦死者の追悼に国家がどう関わるかという争点も国家神道の潜在的な一要素として残ることとなった。国家神道を支持する勢力にとっては、靖国問題が象徴的な重要性を持つ宗教施設として存続し続けることになった。この見方をとれば、現代日本は表向き政教分離ではあるが、潜在的に国家神道の要素を保った社会と見ることができるのである。」

以下、さらに続いていくのですが、今日はこれまで。
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パン

Author:パン
玉城康四郎を尊敬する無宗派大乗仏教徒。一仏乗依拠。
終地の禅定を重視するが、多神教的であるアニマ・魂を尊重したい。また、自我の現実世界での役割も重視したい。
リベラル。無党派大衆運動を支持します。
会社員。

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