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ダンマの働きに従う

まったく何もしないこと。これが禅定の極意であるといった。
このようになるために、それなりの修練というか、探究が必要になるだろう。
ある人は、呼吸法が大事であるという。
その人は、それは単なる手段すぎないことを理解せず、絶対視しているかのような言い方をしているように感じた。まったくバカげたことである。
それにこだわっていたら、どうして、【まったく何もしないこと】が可能となるというのだろうか。【如来の独り働き】が可能となるというのだろうか。

その人は、如来を信じる?如来に任せる?といっていた。
それはすべて自我の働きではないか。きわめておかしなことを言っている。【如来の独り働き】の実態に無知であるとしか思えない。
何で、こんな変なことを言うのか、私には理解できない。

如来は貫き、光明を放っている。脳天を貫き、上へ上へと行く。目にも溢れ、顔からダンマが放たれていく。肩からも、腕からも、手からも。全身から。
如来はダンマの雨を降らす。ありとあらゆるものを潤す。
そのありがたさにひたすら合唱するのみである。

ダンマの独り働き。自由自在にさまざまな変化をする。
それは通常、われわれが認識する仕方で認識するわけではない。
そのようになっているのであるとしかいいようがないのである。

如来の働きに応じて、自分がそれにあわせる必要があるときがある。
力が入っていたり、何かのこだわりがあったりする。それを緩めるのである。そのとき、如来はすぐさま、それに応じた働きをするのである。

私は、如来に支配されて、そのまま一生、生きることができたらよいのにと思うときがある。ひたすらに、如来の信仰に生きるのである。
残念ながら、さまざまな制約があって、それはできそうもない。

私は、いまは生きていくことに精一杯で、余裕がほとんどない。
如来のはたらきにすべてを任せて(先の人がいった【任せる】の意味と違う)、ひたすらに如来のはたらきに従っていく。そのはたらきに従うとは、【如来とともに生きること】でもある。
ダンマのはたらきに従っていくことができれば、正しい行為であるとか、、智慧が働いて正しい考え、判断ができるとか、正しく人を導けるとか、正しく説法できるとか、利他が行えるとか、考えている人が大半である。こんなことは絶対にないのである、と以前からずっと、何度も強調して説明した。

ダンマの働きに従うことが仏道の信仰者の務めであり、その勤めにより、その人がどのような考え、行動することはまったく別の問題である。その人はそのひとのままであるのであるから、【その人のままに考え、行動しているのにすぎない】のである。
ダンマの働きにしたがって、そのひとのままに、考え、行動しているのである。

ダンマの働きに従うことができれば、如来のようになれるとか、聖人のように生きれるとかは、終地の実態を無視した、願望投影像にすぎない。

終地の実態を適切に認識すべきである。

【ダンマの働きに従う】ということは、自我の働きではないか?という問いがあるかもしれない。なるほど、もし、そうなら、なかなか鋭い質問である。

でも、残念なことに、それは的外れでもある。以下、少し説明しよう。

終地の禅定について、何かが少しでもあったら、如来の働きを妨げると玉城康四郎はいった。まさしく、そのとおりであるのが事実である。

そのようでなければ真の禅定ではない。
これに習熟すれば、日常においても、如来の働きの状態でいることはある程度可能となる。
その場合、日常生活をするのに活動しているのは、自我であることは、いうまでもない事実である。その自我の働きとともに如来の働きとともにいることができるのである。自我の働きが活発であれば、当然、如来の働きはどこへやらとなってしまう。現実からの要請から解放されて、自我が比較的に静かになれば、如来の働きを実感しようと気にさえなれば、すぐさまにそのようになれる。如来の働きをできるだけ尊重しながら、自我の役目をこなすこともできるのである。

だから、先の問いには、自我が如来の働きを認識して、それに基づいて自我を律するにすることであるというような意味が含まれているのではないかと考えられる。理念や教義に従うときの自我の働きを連想して、<従う>ということばをその意味で考えてしまうのではないかと思う。
私が先に説明したとおり、その意味ではないことがお分かりであろうか。

【任せる】【従う】は、如来の働きの実態に即した意味で理解され、使用されなければならない。
しかし、この体験のない人には、それは無理なのかもしれない。

ある人のそのおかしな発言が気になったので、ここで私の見解を述べておくことにした。
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プロフィール

パン

Author:パン
玉城康四郎を尊敬する無宗派大乗仏教徒。一仏乗依拠。
終地の禅定を重視するが、多神教的であるアニマ・魂を尊重したい。また、自我の現実世界での役割も重視したい。
リベラル。無党派大衆運動を支持します。
会社員。

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