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自我肥大の危険

ダンマの顕現の体験によって生じる大きな問題について指摘したいと思います。それはユング心理学が指摘する、ある心理状態のことです。

 ユングは、いわゆる神秘体験を体験することによって、自我肥大が生じるといいます。それは、ダンマの顕現の体験でいえば、自我がダンマと同一化することによって、誇大、傲慢となり、自我の適切な機能が阻害されてしまう状態のことです。

 誇大、傲慢といえば、仏典の、魔の憑依とか、慢心に陥っているという言葉に相当するもので、ダンマの顕現は、魔の支配や魔境ではなく、ダンマ・如来の占有であり、如来は智慧であり、慈悲であるのだから、それが、なぜ、誇大や慢心に陥っている状態と見做されるのか疑問に思う人がいるかもしれません。如来と魔は正反対であるのだから、ダンマの顕現の体験は、慢心とは無縁であると考えられるかもしれません。

 ユング心理学の言う自我肥大は、無意識の元型の内容に支配された心理状態のことを指しています。元型には、いくつかの種類があって、そのなかには、如来に相当する「自己」があります。「自己」とは心の中心に位置し、人格を統合する働きを担うといい、また、それは、心の中心であるばかりではなく、心の全体であるといいます。ユングは、「自我」(意識の中心)が「自己」と同一化するほど肥大した場合は、つねに危険であるといい、「自我」の適切な機能は失われて、誇大となり、「個性化」(心の全体性の実現)を進んでいくことはできないといっています。

 仏教のいう魔や慢心は、従来、悟りの体験ではないのに、誤ってそれを悟りであると思い込んでいる状態のこと、あるいは、悟りの体験を得ているけれども、それは初地のあり方に過ぎないにもかかわらず、それを最上の悟りであると自認してしまう状態のことを指していうことが多いことは周知のとおりです。この場合、前者は魔境といわれ、後者はダンマの顕現が実現されているのですが、それに満足してしまっている、小乗のさとりのあり方ということになるでしょう。前者は魔境として退けなければならないことは周知のことです。後者は、ダンマの顕現(見性)を得ているが、それの悟りは初地であり、それに満足していることは、大乗経典の立場からは、魔の憑依や慢心と見做されています。『八千頌般若経』では、慢心は五逆罪より、はるかに罪が重いものとされています。この経典のいう慢心は、悟りでないものを悟りと見做すこと、初地のあり方を最上と見做すこと、終地の実現をしていないにもかかわらず、終地を実現していると誤って見做すことを含んでいます。大乗経典では、慢心する者は地獄に落ちるとか、小乗のダンマの顕現の体験者は、仏となることは決してできないなどと手厳しいことがいわれています。大乗経典は、ダンマの顕現の体験は慢心とは無縁といっているのではなく、慢心を最大の罪として、それを厳しく戒めるように警告しています。『八千頌般若経』は、終地の実現すようにと強調していますが、終地の実現は慢心とは無縁なのでしょうか。『八千頌般若経』がどのように説いているかを調べることをここでは、しないことにします。まず、原始仏典はどのように説いているか見てみることにしましょう。

 周知のように、玉城康四郎氏は、終地の説明に、原始仏典のブッダの不動の確信を挙げています。それは、
「如来において信が確立して、魔によっても、いかなる者によっても動かされない人はダンマの相続者であり、法身である」とありました。

 そのことばからいえば、ブッダは最上の悟りを得て、魔を降し、不動の状態を実現しているということになるでしょうから、終地の実現は、魔を降して、魔によって動かされないということから、魔の憑依や慢心とは無縁であるという結論を導き出すことがてきてしまうかもしれません。そのことから、ユングのいう自我肥大、誇大、傲慢とも無縁であると考えてしまうかもしれません。しかし、果たしてそうでしょうか。実は、大乗経典は、終地の実現は、慢心と無縁としているのではなく、その危険が大きいから、気をつけるべきであると警告しているのです。

大乗経典は、このブッダの不動の確信に対して真っ向から否定することになるのですから、大変な問題です。そのことは大乗経典を挙げて、後で説明しますが、私が、ここで、ブッダが自我肥大の状態となっていたかどうかについて、解釈しようとするつもりは全くありません。私が関心を持つのは、現代に生きるわれわれが終地を実現した場合の実際についてどうであるかについてなのです。それを知る上で、それを批判する大乗経典を作成にかかわった人たちは、終地の実際についてどのように考えていたかについて知ることは、われわれにとって参考になると考えます。

(5年まえに書いたものです。)
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プロフィール

パン

Author:パン
玉城康四郎を尊敬する無宗派大乗仏教徒。一仏乗依拠。
終地の禅定を重視するが、多神教的であるアニマ・魂を尊重したい。また、自我の現実世界での役割も重視したい。
リベラル。無党派大衆運動を支持します。
会社員。

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