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斉藤環さんの宮澤賢治試論を読みました

私は、宮澤賢治について、ほとんど知らない。今回、斉藤環さんの宮澤賢治試論(斎藤環著『「文学」の精神分析』)を読んだのは、斉藤環さんに興味があってのことです。斎藤さんはひきこもり研究の第一人者であることは有名。私もとても、引きこもり的なので、ひきこもりには関心があるけど、いままで、そのことに関する書物は読んだことがない。これからは、少し読んでみたい気はするけど、どうかな。宮澤賢治が好きな人が私の周りにも結構いるが、いままで、私は興味を持ったことがない。食わず嫌いなのかな。ということで、斉藤環さんの宮澤賢治論は、いまの私にって、都合よさそう。それで読んでみたのです。

斉藤環さんによると、宮澤賢治好きな人は彼をアウトサイダーとして扱い、絶対的帰依に対象とする傾向があるとし、その自身の転移感情に気づかないでいては、彼を批評することはできないと指摘する。

以下、斉藤さんの論考の趣旨です。
アウトサイダーとは理念、実践、表現を一体化して生きる人のことを指している。アウトサイダーの病理は二者関係の病理であり、ひきこもりのそれでもある。アウトサイダーは自ら進んで、ひきこもりを選び取る。賢治においての二者関係は自身と信仰である。理念、実践、表現の一体化した賢治の信仰に強い転移性がある。そのため、賢治の信仰との二者関係が、賢治ファンと賢治の二者関係として反復される。賢治をアウトサイダー化し、帰依の対象としてしまう。賢治ファンのほとんどが法華経信仰に向かわないのはそのためだろう。

賢治は二者関係の病理に留まっていたのだろうか。斉藤環さんは臨床心理士・矢幡洋氏による賢治の分析を挙げ、疑問を投げかける。矢幡氏は賢治は観念操作による解決を図った。超人的な意志による進路変更を行ったとする。斉藤氏はそうではないという。性愛という他者性によって、理念、実践、表現に乖離と距離をもたらしている。二者関係的世界の「感性による支配」を切断し、悟性的判断をもたらす。悟性的判断は個人における理念、実践、表現に健全な分裂をもたらす。それによって、すべての個人は倫理的存在でありうる。この分裂がない倫理は症状でしかない。われわれはこの分裂を内省する必要があるという。
懊悩する賢治。万能感と表裏一体である自己不全感。人類全体の幸福をデクノボーとして願い、祈る。実践においてはデクノボーでしかなかった賢治。その「ナルシシズムのいたましさ」に感動し、賢治をアウトサイダー化してしまうことを防ぐために、賢治の先の分裂に対する視点を失ってはならないだろうという。

以上、その趣意。
う~ん。むずかしい。
なんとなく、わかる気もする。日蓮に対する信仰にも当てはまるのではないかな。一個の人間であることを見失ってしまう。
他者性。大乗仏典においても、それが重視される。如来と私の二者関係から、他者へと向かう。何か関係がありそうだ。
そうそう、アマテラスが岩戸にひきこもり、そこから出て、肉体性を獲得し、下界へ降りてくることにも関係しそうだ。エロス、これは関係性だろう。
ひきこもりの治療とは一体どういうものなのだろうか。治療者の役割とはどのようなものなのか。そこに生じる転移、逆転移とはなんなのだろうか。興味がわく。また、機会があれば、調べてみようと思う。
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パン

Author:パン
玉城康四郎を尊敬する無宗派大乗仏教徒。一仏乗依拠。
終地の禅定を重視するが、多神教的であるアニマ・魂を尊重したい。また、自我の現実世界での役割も重視したい。
リベラル。無党派大衆運動を支持します。
会社員。

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