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雨の降らない星では愛せないだろう? - モーニング娘。

[HD] 雨の降らない星では愛せないだろう? - モーニング娘。




とても、いいね。感動して、涙してしまった。

作詞、作曲:つんく
歌詞はこちらへ。

上記より引用。
「※雨の降らない星では愛し合えないだろう?僕たちは未来までたすきを渡す使命※」
これがリフレイン。
「陸のない星にはならないように僕たちが精一杯歌う」

魂・アニマが雨の降らない星にならないように精一杯歌っているように思える。
未来までたすきを渡す使命がわれわれにはあるんだよね。本当にそうだよね。
われわれも魂から精一杯歌って、雨の降らない星にならないようにしていかなければならない。この歌詞には中国語が入っていて、モーニング娘。のなかの二人の女の子が歌うんだよね。それがまた感動的だ。
すごいね!つんくさんって、やはり天才だね。

「雨の降らない星にならないように」と聞くと、私は、ユングがお気に入りであった雨乞い師の逸話が思い起こされる。

渡辺学著『ユングにおける心と体験世界』p225

■■引用開始■■ 

共時性の原理は、それこそ有意味性の構造そのものと考えられ、また、さまざまな意味は、それ自体として意識に先行して存在していると考えられるにまでいたっている。つまり、共時性は、心と世界の両方の目的因として両者に先立って存在していると考えられているのである。このような思想は、意味実在論と呼ぶことができよう。

 このような意味実在論においては、もはや心理学の枠組や方法的独我論は突破されている。なぜなら、ここでは意味は、主体の側から付与されるのではなく、それ自体として存在し、個人の内面世界のみならず、日常的な現実世界にも顕現してくるからである。

 このような意味の実在する世界は、大宇宙と小宇宙とが照応している、本来的に調和に満ちた世界である。このことを典型的にあらわしているのが、ユングがヴィルヘルムから知った中国の膠州に呼ばれた雨司(雨乞い師)の逸話である。ユングは、この逸話がとても気に入っていたので、弟子たちにいつまでも語り継ぐように言い残したのであった。その逸話は以下のようなものであった。

 たいへんな旱魃があった。何ヶ月もの間、一滴の雨も降らず、状況は深刻であった。カトリック教徒たちは行列をし、プロテスタントたちはお祈りをし、中国人は線香をたき、銃を撃って旱魃を起こしている悪霊たちを威嚇したが、何の効果もなかった。最後に、ある中国人が言った。「雨乞い師を呼んでこよう。」そこで、別の地域から、しわだらけの老人が呼ばれてきた。彼はどこか一件の静かな小さい家を貸してくれとだけ頼み、その家の中に閉じ込ってしまった。

四日目になると、雲が集まってきて、たいへんな吹雪になった。雪など降るような季節ではなかった。それも非常に大量の雪であったのである。町中は、すばらしい雨乞い師の噂でもちきりであった。そこで、リヒャルト・ヴィルヘルムは出かけていって、その老人に会い、どんなことをしたのかとたずねた。」彼は、まったくもってヨ-ロッパ風にこうきいたのである。

「彼らはあなたのことを雨乞い師と呼んでいます。あなたがどのようにして雪を降らせたのか、教えていただけますか。」すると、その小柄な中国人はこういった。「私は雪を降らせたりはしません。私は関係ありません。」「ではこの三日間、あなたは何をしていたのですか。」「ああ、そのことなら説明できます。私は別の地方からここへやってきたのですが、そこでは、万事が秩序だっていたのです。ところがここの人たちは秩序からはずれていて、天の命じているようになっていないのですよ。

つまり、この地域全体が道 Tao の中にないというわけです。ですから、私も秩序の乱れた地域にいるわけで、そのために私は物事の自然な秩序の中にいないという状態になってしまったわけです。そこで私は三日間、私が道にかえって、自然に雨がやってくるまで、待っていなくてはならなかったというわけです。

■■引用終了■■

著名なユング分析家の河合隼雄さんも、心理療法家の理想的な姿勢に、このタオ・道の状態であることとしています。それはまた、沈黙を中心とする状態、大日如来の意を推し量るようにするなどともいっています。
このことに関することは、以前、ブログに書きました(ダンマ・如来と自我、ユング心理学)。
この状態は繰り返し何度も述べているように、玉城康四郎のいうダンマ・如来の働きの状態と同じです。
ダンマ・如来は絶対者です。形なき純粋生命そのものです。
ダンマ・如来ばかりに目がいくと、魂であるサトル・ボディ、意生身が無視されかねません。仏教では、意生身・業熟体が根絶されるべきものとされていますので、悪そのものや罪悪なものという側面のみが強調され、肯定的な面を無視してしまう傾向があります。ユング派分析家が指摘するように、アニマとの接触の失敗です。
ただ、興味深いことに、大乗経典には、物語性や多神教的な面、人間の持つ自然な欲求が含まれていて、魂の持つ豊さを否定しているわけではありません。特に、『金光明経』を読んでみると、その豊かさが確認できます。そこには女神が多く登場します。私のお気に入りの部分です。この経典はとても素敵です。
ユング派にも、アニマを深めていくことを大事にする一派に、ヒルマンの元型的心理学があるようです。

モーニング娘。が歌う「雨の降らない星にならないように」、私も素人仏教信者として、ダンマ・如来の働きの状態、雨乞い師の道の状態に留まり、ダンマの雨が降ってくるようにしよう。未来まで、ダンマのたすきを渡す使命がわれわれ仏教信者にあるのだから。精一杯、ダンマの歌を歌おう。
それと同じように、つんくさんのいう意味の「雨の降らない星にならないように」したい。魂からの叫びに聞こえる。本当に、いまの世界は大丈夫ではないと思う。未来までのたすきを渡すことはできるのだろうか。魂を無視した現代社会。それを警告するように、浅草寺の敷石の怪や国会への落雷が共時的に生じているように思う。このどちらとも、牛頭天王が関係している。浅草寺の白鷺の舞やモーニング娘。の「雨の降らない星では愛せないだろう?」はその祟りを鎮めること、その癒しとして現れているのではないだろうか。

ちなみに、ネットで調べていたら、ユング派分析家の老松克博さんの『無意識と出会う-ユング派のイメージ療法 アクティヴ・イマジネーションの理論と実践1』の抜粋が公開されているのを見つけました。トランスビューHP(『無意識と出会う-ユング派のイメージ療法アクティヴ・イマジネーションの理論と実践1』 老松克博 本文 一部抜粋 )にあります。
また、檀渓心理相談室 (カウンセリング・だんけ)さんのブログに、「何もしないこと―中空構造の力学 カウンセリング・だんけ 西村 洲衞男」の記事を見つけました。雨乞い師やユング心理学のことが述べられています(http://blog.danke.main.jp/?eid=1257274)。
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プロフィール

パン

Author:パン
玉城康四郎を尊敬する無宗派大乗仏教徒。一仏乗依拠。
終地の禅定を重視するが、多神教的であるアニマ・魂を尊重したい。また、自我の現実世界での役割も重視したい。
リベラル。無党派大衆運動を支持します。
会社員。

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