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INESSA GALANTE Ave Maria Caccini

INESSA GALANTE Ave Maria Caccini - DECOR: Flowerfields (Thanks to Campion Records)



この曲は以前から聴いていて、一番好きといってもよいくらいのもの。
楽曲はもちろんいいのですが、INESSA GALANTEさんの声がいい。すばらしい。
イネッサ・ガランテ(Inessa Galante)さんは、ラトビアのソプラノ歌手です。

カッチーニのアヴェ・マリア(Ave Maria Caccini)は『ウィキペディア(Wikipedia)』を見てみたところ、
「実際には1970年頃ソ連の音楽家ウラディーミル・ヴァヴィロフ(Vladimir Vavilov 1925-73)によって作曲された歌曲である。

録音も楽譜も90年代前半まで知られていなかった。出典が明らかにされず、現在入手出来る出版譜は全て編曲されたもので、歌詞がただ"Ave Maria"を繰り返すだけという内容もバロックの様式とは相容れない。

ヴァヴィロフは自作を古典作曲家の名前を借りて発表する事がよくあったが、自身が共演しているIrene Bogachyovaの1972年の録音では「作曲者不詳」の『アヴェ・マリア』として発表していた。ヴァヴィロフの没後十年を経てCD録音されたMaria Bieshu(1996)やイネッサ・ガランテのデビュー盤(1994)では作曲者が"D. Caccini"と表記され、ジュリオ・カッチーニの作として広まった。

初期の録音にはBieshuとガランテのほか、スラヴァ(1995)、Lina Mkrtchyan(1990)とソ連のアーティストによる演奏が並ぶ。20世紀末レスリー・ギャレットやスラヴァのCDで一気に知名度が高まり、多くの歌手が録音し映画にも使われた。

以上のような事実はCDや楽譜の楽曲解説では言及が無く、現在一般にはカッチーニ作品と誤認されている。」

今日、はじめて知った。カッチーニの作ではなかったのか。驚き。

ついでに、カッチーニとはどんな人だったのか。便利な『ウィキペディア(Wikipedia)』の登場。

「ジュリオ・カッチーニ(Giulio Caccini, 1545年頃 - 1618年12月10日)はイタリア・ルネサンス音楽末期、バロック音楽初期の作曲家。ヤコポ・ペーリとならんでモノディー様式の代表的な音楽家の一人として知られる。」

「ローマで彼はリュート、ヴィオール、ハープを習い、歌手としての名声を博しはじめた。1560年代、コジモ・デ・メディチが彼の才能に感銘を受け、若きカッチーニを更なる勉学のためにフィレンツェへ招いた。

1579年には、カッチーニはメディチ家の宮廷で歌手をしていた。彼の声域はテノールであり、また自分自身でヴィオールの伴奏を付けることができた。彼は婚礼や国事など様々な宴会で歌い、当時の壮麗なインテルメディオ(オペラの先駆の一つとされる、精密な音楽・劇・映像的見せ物)で役目を果たした。またこの時期に、彼は人文学者、作家、音楽家、考古学者達の活動に加わった。彼らはジョヴァンニ・デ・バルディ(Giovanni de' Bardi)伯爵の邸宅に集まり、失われたと思われている古代ギリシャの劇音楽の栄光を復活させようとする団体、「カメラータ」を結成した。カッチーニの歌手、楽器奏者、作曲家としての才能によって、カメラータはモノディ様式を確立し、それはルネッサンス末期のポリフォニー音楽の慣習からの革命的な新発展となった。

16世紀末の20年間、カッチーニは歌手、教師、作曲家としての仕事を続けた。彼の教師としての影響力は過小評価されているかも知れないが、何十人もの歌手に新たなスタイルで歌うことを教えている。その教え子の中には、クラウディオ・モンテヴェルディの最初のオペラ「オルフェーオ」の主役として歌ったカストラートのジョヴァンニ・グアルベルト・マリ(Giovanni Gualberto Magli)もいた。」

カストラートとは何かというと、これが興味深いのです。またまた『ウィキペディア(Wikipedia)』の登場。

「カストラート(castrato)は、中世ヨーロッパに普及した去勢された男性歌手(同じ語源の英語の動詞'castrate'は「去勢する」という意味)。」

ね。去勢された男性歌手。このブログで斉藤環さんの宮澤賢治論にも出ていましたね。私は、以前より、カステラートのことは知っており、興味を持っていた。
つづいて、長くなるが、『ウィキペディア(Wikipedia)』より掲載します。

■■引用開始■■

概要

男性を去勢することにより男性ホルモンの分泌を抑制し、男性の第二次性徴期に顕著な声帯の成長を人為的に妨げ、変声期(俗にいう「声変わり」)をなくし、ボーイソプラノ時の声質や音域をできうる限り持続させようとしたもの。一方で成長ホルモンは分泌されるため、身長や胸郭は通常どおり成長し、胸郭をはじめとする骨格や肺活量の成長などは成人男性とほとんど変わらず、声のトーンや歌声の持続力は未成年や女性歌手では再現できないといわれる。

去勢の結果、感情的にはやや不安定になる傾向にあるが、それが歌唱の際の感情表現に役立つという説もあり、また、脂肪が多くなり小太りになりやすい傾向は、歌う際の声質に有利に働くとの説もある。一方、現在のソプラノ歌手の歌唱や声量などについての議論も含め、体型や情緒面などと実際の歌唱との関係には不明な点や疑問点も多い。

その音域や声質により「ソプラノ・カストラート」や「アルト・カストラート」などに分かれていた。現在は人道的理由から存在しないため、当時のオペラなどのこのパートを再現する場合には、ソプラノやアルトなどの女性歌手、あるいはボーイソプラノ、成人男性であればカウンターテナーとソプラニスタで代用される。しかしながら、当時意図的に存在させた理由があるように、既成のパートではそれぞれの特色面でこれに欠ける点があり、完全な再現は不可能といわれる。つまり、ボーイソプラノは声質や音域には問題がないが声量や持続力など体力的に難があり、カウンターテナーはファルセットのために高音部の声質に難があり、女声は声質自体が異なり軽く細い傾向にあるという点などである。

起源・歴史

盛衰の歴史

一説によると、最古の者は14世紀に登場した[要出典]ともいわれ、歌う目的で一般化したのは1550年~1600年頃のローマといわれている。途中、イタリアを中心に教会音楽からオペラに進出し、1650年頃から1750年頃にヨーロッパ各地でそのピークを迎える。途中、ナポレオンが禁止令を出したが廃れることはなかった。オペラなどでのブームが過ぎ去った後もローマのカトリック教会では継続していたのだが、19世紀半ばには時のローマ教皇の命により人道的見地から禁止され、廃れることとなる。

登場の背景

教会内で女性は沈黙を保たなくてはならなかったため、歌を歌うことは許されなかった。よって、変声期前の男声(現在のボーイソプラノに近い形態)で構成された。しかし、変声期によって声質を変えないままその声質を維持する為に、意図的に男子を去勢することによって始まったとされる。

実際には、変声期直前のボーイソプラノの声質を有した少年が、偶発的な事故か病気のために睾丸を除去せざるをえない状態となり、変声期後の年齢になっても声質を保っていたことから、その後は意図的に行われるようになったという説が有力である。

最盛期

そのピークには、毎年4,000人以上にも及ぶ7歳~11歳の男子が去勢されたとの記録が残っていて、次第にその候補は下層階級へと移ってゆき、主にその親が一旗挙げる目的や、口減らし目的に利用した。しかしながら、当時の医療体制の未熟さや衛生環境などにより、去勢手術を受けた多くの男子の命が感染症などで失われたと憶測されている。さらには、去勢される対象の男子が、それ以前よりボーイソプラノなどの技術や音楽知識を有していなくてはならず、手術を受けたものの歌手としての素養のない者も多く(あくまで今日の視点から後付けで判断して)親の欲求のために無駄に去勢されてしまったといってもいいような男子も多かったと推測されている。

最も有名なカストラートは、ナポリに生まれた、カルロ・ブロスキ(1705年1月24日 - 1782年1月25日)で、通称ファリネッリと呼ばれ、1994年に彼を主人公とした映画『カストラート』が作られた。その音域は3オクターヴ半あったといわれている。

その他、セネジーノ、カファレッリ、グァダーニなど、多くのカストラートがオペラ界に進出して当時の社会現象ともなり、実際にその歌声を聞いて失神する上流階層の女性も少なくなかったという記録も残っている。また、2~3ヶ月公演するだけでその国の首相の年俸を超える収入を得る者も出てきたという。

幼少時のベートーヴェンは、ボーイソプラノとしても類稀な才能を有していたために周辺の人々からカストラートにされることが望まれたが、その父親の反対により実現せず、ベートーヴェン本人は後に作曲家となった。

消滅期

前述の様な経緯で廃止、消滅の道を辿った。ベルリオーズが19世紀半ばに出版した『管弦楽法』の中では、カストラートはすでに「ほとんど完全に姿を消しつつある」(訳文は広瀬大介訳、音楽之友社、2006年、p.455による)状態だったという。彼はローマでカストラートの歌声に接しており、件の状況を「それほど悔やまれることではない」としている。

記録に残る歴史上最後のカストラート歌手は1922年に死去したアレッサンドロ・モレスキであり、20世紀初頭の録音が残されているが、年齢的にはピークの時期をおよそ過ぎてからのものである。

また、廃止、消滅に至った経緯を考えれば、今後もまず現れる可能性はほとんどない。もしも、現代にカストラートに相当する存在が現れるとすれば、幼少時に事故や病気などで睾丸を喪失してしまった少年が歌手となった場合などが想定できるが、常識的に考えればほとんど有り得ないレベルの低確率といえる。

■■引用終了■■

これを読んで、何ともやりきれない気持ちになります。

カッチーニのアヴェ・マリアはとても悲しい曲調ですね。私はこれはカステラートに捧げられたものであるように感じていました。事実は別として。
カステラートの哀しみにぴったりではありませんか。
ひたすらに、マリアさまの名を呼ぶ。打ち捨てられた青年。いま死を迎えようとしているかのようだ。



以下、スラヴァが歌うアヴェ・マリア

Caccini Ave Maria by Slava Kagan-Paley



みなさん、どうでしょ。カッチーニのアヴェ・マリア。私はとても好きだ。スラヴァもいいけど、イネッサ・ガランテの方が自分は好きだな。

ネットで調べていたら、カッチーニのアヴェ・マリアについての解説と音楽も聴けちゃう最高なサイトを見つけました。聖母マリアの名画もあります。すごいね。
http://cocoro.m78.com/32ave_maria.html

次回は、この曲に縁がある私の体験を紹介したいと思います。
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プロフィール

パン

Author:パン
玉城康四郎を尊敬する無宗派大乗仏教徒。一仏乗依拠。
終地の禅定を重視するが、多神教的であるアニマ・魂を尊重したい。また、自我の現実世界での役割も重視したい。
リベラル。無党派大衆運動を支持します。
会社員。

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