ごく普通の信仰がよいのではないか

「その力は神の愛」 マザー・テレサ元秘書が講演 東京 - クリスチャントゥデイ という記事を見つけました。

【「自分にできることは、大きな愛のこもった小さなことだけ」。マザー・テレサは、神がともにおられるのだから、どれだけのことをしてあげたかよりも、その行為にどれだけの愛が込められていたかが大切なことなのですと、よく周囲に話していたという。】

私たちから見れば、マザー・テレサのなしたことは偉業である。【大きな愛のこもった小さなことだけ】がまさに偉業なのであろう。
神とともに、その大きな愛を実践されたのだろう。

玉城康四郎は、ダンマもプネウマも同じであるといった。
イエスもブッダもそれに基づいていたのだと。

玉城康四郎は最晩年、如来とともに生きることを実現した。それを終地と名づけた。
これは特別なことではなく、誰でも、終地を実現できるのだといい、他の人にもそのように生きることを勧めた。

如来とともに生きることは、マザー・テレサのような聖人として生きることを意味するわけではない。
その人の人格のままに、如来と二人連れで生きることである。
このことは決定的に重要なことである。
きわめて残念なことに、終地を神聖化してしまって、ブッダのようになれるとか、聖者のように生きれるとか、考えてしまう人が圧倒的に多い。終地の実態を無視し、自身の願望をそれに対し投影し、同一化してしまう。

ダンマに不徹底だから、その人のままなのであって、しっかりと徹底すれば、ブッダの同じであると強弁するのが大半である。なぜ、それを強弁するのか、私にはまったく理解できない。自身の願望、理想を打ち壊されたくないのでは?と思ってしまう。

なぜ、終地のありのままの現実を受け入れることをしないのだろうか。
終地は単に仏道の基本にすぎないにもかかわらず、それを高い理想として仰ぎ見る意味などまったくないではないか。
玉城康四郎を神聖化する人たちにまったく同感できないし、それは玉城康四郎のいったことを全否定することであることに気づかないのだろうか。

玉城はごく普通の人間である。
玉城は玉城のままに如来とともに生きた。それをわれわれに示した。これは誰にでもできると。

われわれは業熟体である。如来とともにいれば、業熟体による過ちを如来がおしとどめてくれるのだろうか。終地の実態から言えば、そんなことはまったくありえない。ごく普通の人間であるから。
如来が中心となり、自我が脇役になる状態は、自我の存在が無視され、または、軽視される。自我であるにもかかわらず、その状態を私であると見なしてしまうのだ。如来となってしまう。如来と私の区別が失われる。これが自我肥大なのである。
だから、如来の直接体験はこれが常に同居する。無縁どころか、いっしょなのである。
魔と浄土は一体なのである。
そのことに気づかず、正しい悟りを得れば、魔と無縁であるとか、魔を克服したという人は、まったくどうかしている。その人が立派な人格者であろうと関係しない。その陥穽に落ち込んで気づかないことは仏道上、きわめて愚かなことであるというよりほかない。

その意味によって、大乗経典は原始仏典の阿羅漢を盛んに批判するのである。

如来と一体化してしまった自我は、自らのその過ちを認めない。その過ちは業熟体のためであると考える。
自我は如来と業熟体の間で、引き裂かれ、本来あるべき自我の場所を保つことができない。
ときに自我はその間、上下する。
地獄に苦しめられるならまだましであるが、極楽で舞い上がってしまった自我は救いようがない。その傲慢さに一生気づくことはない。
大地に根付くことの大切さがきわめて重要になる。
自分が自分であることが大事なのである。
だからこそ、私はこのようにして、何度も繰り返し、説明するのである。
終地はその人のままに如来とともに生きることであると。それが仏道の基本であると。
まったく特別なことではないのだと。

これが理解できないで、終地を神聖視して、その実現を目指せば、先の愚かさの罠にはまってしまう危険が大きいのではないかと強く心配する。

ダンマの顕現の体験を得たことで、かえって、本来の道から、大きくそれてしまう。それではあまりにも酷いではないか。

そう思うからこそ、適切に発心し、大乗の仏を礼拝し、ごく普通の人の信仰で十分であるというのである。それが如来の御心に適っている。
悟りの体験を得たいという変な心が焚きついて、まったく奇妙な信仰にはまることは避けるべきではないだろうか。
それよりも、教義に縛られることなく、ごく普通の人たちのように、純粋な信仰に留まろうではないか。
大乗の仏を礼拝し、はるか無限の先のいつかは、自分もそのような仏になりたいという心を起こして、その仏に純粋な信仰心によって礼拝するのが如来の御心にかなっていると思う。そうではないか。
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プロフィール

パン

Author:パン
玉城康四郎を尊敬する無宗派大乗仏教徒。一仏乗依拠。
終地の禅定を重視するが、多神教的であるアニマ・魂を尊重したい。また、自我の現実世界での役割も重視したい。
リベラル。無党派大衆運動を支持します。
会社員。

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