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久しぶりに書きました。雑文

五ヶ月近くも、仏教のエントリーを書いていないことになります。

ほかのことで、いろいろ忙しかったわけでずが、特別、何か書きたいこともないというもあります。
私が過去に仏道探究した私なりの結果は、このブログにて公表したわけですから。その後何か新たなことが見つかったわけでもなく、書き足すということもないわけです。
蛇足ですが、公表した私の成果は、毒な部分は排除してあります。毒というのはオカルト的な、想像を超えたもの。それを公表すれば、間違って、本当の伝えたいことから目を逸らすことになってしまうと考えてのことです。なかなかおもしろい内容なので、公表したいという気持ちは山々なのですが、上記の理由によりしないことにしています。

私は単なる仏教の素人信仰者にすぎませんが、この成果はきわめて大きな意味があることをわかる人にはわかるだろうと思います。自惚れがすぎるでしょうが、わかる人にはわかるでしょう。ほとんど皆無かもしれませんが。

私が書いたことはとても簡単なことであるはずです。
これを理解するうえで、玉城康四郎の著書を熟読して、ある程度理解しておく必要があります。それが前提条件です。

ダンマの顕現を得ている人がほんの稀にいるかもしれません。しかし、彼らは私の言っていることをおそらく理解できないでしょう。玉城康四郎の言っていることさえ理解できないでしょぅから、もっと無理です。


ところで、私はここ五ヶ月間、仏道の勤行も禅定も行っておりません。本当はいけないことですね。しかし、実は力を抜いて、何もしない状態となれば、やはり、<貫きの状態>となるのです。このことはちょくちょくあるわけです。
この状態をもう少し時間をとって、それに熟することをすべきであったと反省もあります。日常の忙しさ、闘いに苦労は絶えないことはなかなか難しいものだと日々実感しています。

如来に専念することで、日常が疎かになってもいけないでしょうし、日常にばかりにかまけて、如来が疎かになってもいけないのでしょうね。なかなか難しいことです。

私はいま一市民として政治に関心を持っているわけですが、これに集中していると、闘うことばかりに専念してしまうのですよね。どうしても実現しようと躍起になるわけです。それが日々の生活の中心となってしまう。

利他という思い上がりは私にはないつもりでいますが、よりよい社会をつくりたいという情熱が湧き上がり、それに衝き動かされます。もちろん、私は一市民ですから、政治といっても、市民運動、社会運動、国民運動などに属する類のものです。

最近、以前、自分にはある程度、神秘的な冴えがあったのですが、最近、如来とのお付き合いからはなれてしまい、その冴えがなくなり、凡庸になってしまった感があります。やはり、ある程度、如来と交わる時間は必要なのでしょうね。

しかし、仏道者として生きる道を選ぶのであれば、まずは如来の専念することを何よりも優先させなければならないでしょうね。いまの私にはそのようには思えません。仏道者として生きる覚悟はないのです。

いまは<僕を生きている>のでしょうね。仏教徒であれば、如来とともに生きる僕を生きる必要があるでしょう。その点は反省しなければいけない。もうちょっと、如来との交わる時間と機会を増やしていこうと思っています。

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プロフィール

パン

Author:パン
玉城康四郎を尊敬する無宗派大乗仏教徒。一仏乗依拠。
終地の禅定を重視するが、多神教的であるアニマ・魂を尊重したい。また、自我の現実世界での役割も重視したい。
リベラル。無党派大衆運動を支持します。
会社員。

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