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終地は誰でも実現できるもの

玉城康四郎は終地は行道を気長に続けていけば誰でも実現できるという趣意を著書で述べている。
実際にそのとおりであるだろう。
私は終地は仏道の基本であると理解している。
それを神聖視したり、高邁なものとみることはない。
世間ではそのように見なす傾向が強いようであるが、事実は違う。それは基本の実現にすぎない。
その実現によって、その人が立派な人間になることもない。その人のままである。

何が尊いのか。ダンマ・如来が尊いのであって、それを実現した「私」ではない。「私」は以前の私のままである。どうして、その「私」が尊いといえるんか。いえるはずがない。
原始仏典の仏陀はダンマを尊重し、尊敬し、ダンマに安住していこうという趣旨を述べた。そのとおりだろう。それが仏道の基本であるだろう。
われわれがなすべきことはそれである。

基本が実現できればそれでいいはずもない。そこからが開始であるともいえる。
それを継続していく必要があるだろう。それを怠らば、逆戻りである。
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プロフィール

パン

Author:パン
玉城康四郎を尊敬する無宗派大乗仏教徒。一仏乗依拠。
終地の禅定を重視するが、多神教的であるアニマ・魂を尊重したい。また、自我の現実世界での役割も重視したい。
リベラル。無党派大衆運動を支持します。
会社員。

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