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ヘールカ

立川武蔵、頼富本宏編『インド密教』によると、『ヘーヴァジュラ・タントラ』などを代表とする母タントラでは、ヘールカ系の守護尊が大流行したといいます。そのヘールカとは『初会金剛頂経』に説かれる降三世明王に起源を持ち、発展したものであるといいます。降三世明王の図像はシヴァ神とその妃ウマーを足で踏みつける調伏の姿となっていますが、ヘールカも同じくヒンドゥーの神々を足で踏みつけ、周りに配偶女神の侍女を従えるかたちとなっているといいます。
 この踏みつける形は上下という優劣の関係を意味するとは限らないようです。森雅秀著『インド密教の仏たち』によると、「インドの神々において、座や乗り物として腰や足の下におかれたものたちは、単にその上に乗るものたちの優位さを示すだけのものではない。むしろ、その神を助けたり、その神本来の性格や出自を示すことが多い。」といい、「シヴァや降三世やサンバラにおいても同様である。」といっています。
 その解釈に従って考えると、女性性に対する仏教の偏見の像が死に、われわれの魂に本来、存在する性的な面を含む女性性が新たな形として誕生したという解釈もできるでしょう。仏教の優位さを示す意味に解釈するとは限らないように思えます。仏教の持つ偏見が死んだのであり、魂の持つ女性性と関係を持とうとしたのではないでしょうか。

 コルベット著『聖娼』では「聖娼は男性のアニマの一側面でもある。それは男性に、エロティックな霊性を含んだ彼自身の側面を評価するように導く、内なる女性イメージである。」(p.95)「愛の女神の強さと力に崇拝の念を抱いたとき、男性のなかに成熟したアニマが現れてくる。」(p.85)
ただし、ここで誤解してはならないのは、女性に対して性的な満足の対象としてしか見ていない関係ではなく、女性との成熟した関係を結ぶものでなければならないといいます。その成熟した関係において、エロティックで霊的な可能性が実現するといっています。(p.84)

 インド後期密教の母タントラがそうした成熟した関係を築いていたかどうかは私にはわかりませんが、ともかく、それまで否認していた女性性に対して目を向け、それとの関係を形成しようとした形は見られます。

 シヴァは禅定のみに専念し、愛欲を拒否していたとき、創造、維持、破壊という世界の循環の原理が成り立たなくなることを神々が恐れ、シヴァが妻を得るように働きかけ、それが成功する物語がヘールカにも当てはまることになるでしょう。肉体性を具えることの重要性はアマテラスのみならず、シヴァの物語にも語られています。タントラ仏教もその重要性を認め、それを取り入れようとしたのではないでしょうか。

 『金光明経』では、毘沙門天と吉祥天のペアが登場し、この神々がこの経を受持する者を助けるといっています。つまり、それは、仏道の実践においてその働きの重要性を語っているということになるでしょう。この経はエロティックな面を否定しているかどうかは、それについては触れていないのでわからないのですが、ともかく、女性性の重要さは認識し、取り入れようとした。興味深いのは、この経典に登場する弁才天には、ヒンドゥーのドルガーを取り入れていることです。その女神の暴悪な面を認めているのです。

 ヘールカの登場は仏教の全体性へと向かう発展の現われの一つであるといえるかもしれません。仏教の最終形態であるとし、それを最大に尊重することが行われることになるかもしれません。しかし、それは相当な危険なことかもしれません。

 先の同著の冒頭において河合隼雄氏が「刊行によせて」と題して書かれていますが、きわめて重要な指摘をされています。それを要約して紹介させていただきますと、現代人は性と霊性を極端に分離しながら、そのどちらも失ってしまい、後者の取り戻しを明確に把握できないままに「悪あがき」をしていることが多い。その「悪あがき」は現代の多くの社会問題や事件として表出されている。その現代の病の解決策として、本書は「聖娼」のイメージを提出する。なすべきことは、現代人もその心の奥深くにもっている「聖娼」のイメージの新たな喚起と、それとの慎重なかかわりなのである。これは相当な意志と努力を必要とすることだ、といっています。
 このことから、それとの安易なかかわりは、間違った形となって現れてしまうかもしれないのですから、危険であることになるでしょう。それに対する強いコンプレックスを持つ人はヘールカ像などに強く魅了されてしまうこともあるかもしれません。それによって安易な接触を図ることで、それは危険な形となって現れてくることもありうるのでしょう。それとの洗練された関係を築くことは容易ではないというのですから、われわれのような仏道を学ぶ者は安易な接触は避けるべきであるようです。それを過剰に賞賛すること、反対に、それを仏教の堕落したものとして拒否したり、過剰に攻撃したりすることも、適切ではないようです。それとの慎重なかかわりが必要である指摘は忘れてはならないようです。

(※5年まえに書いたものを掲載)
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パン

Author:パン
玉城康四郎を尊敬する無宗派大乗仏教徒。一仏乗依拠。
終地の禅定を重視するが、多神教的であるアニマ・魂を尊重したい。また、自我の現実世界での役割も重視したい。
リベラル。無党派大衆運動を支持します。
会社員。

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