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セミの幼虫

今日、公園で、セミの幼虫をはじめて見た。
すぐ近くにいた見ず知らずのおばちゃんが「ほら、セミの幼虫だよ。珍しいね」と。
そのおばちゃんは、近くにいた小さい子ども二人に、珍しいから見てご覧よと呼んだ。その子らはとても喜んでいた。かわいいね。

セミの幼虫の出会いに象徴的な意味を感じ取ろうとするのはやはり病的かな。でも、やってみよう。
ネットで調べてみたら、見つかった。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/ancients/egan.html〈Barbaroi!〉
「古代ギリシアのセミ」です。
セミの幼虫は不死の象徴。また、新たに洗礼を受けたキリスト教徒を指すと。
「セミはまた新たに洗礼を受けたキリスト教徒でもあり、彼らは、雄弁で白い羽を持ち、洗礼の水という露に濡れ、セミが露を餌とするように、天上の「世界」に養われる。」

なるほど。そういえば、玉城康四郎はダンマとプネウマ〈聖霊〉は同じといっていた。イエスもプネウマによって神の相続者となったと。仏教も、ダンマによって、ダンマの相続者となる。同じであると。

ところで、国家神道は全く本来神道とは別であるわけだが、いまだにそれは靖国神社と天皇祭祀として継続している。これを日本古来のものという主張が世間でまかり通っていることに驚きを禁じえない。
先の記事で、大地の神であるスサノオを無視し、否認すれば、いずれ、暴悪な面を現すようになると心理学の知見を紹介した。いま、まさに、そのような暴悪面が現し始めているように思うが、気のせいだろうか。私は強くそれを警戒している。
スサノオ〈象徴の意味で採り上げているのであって、他の宗教の神や神話の神でもいいのだが〉に対し、適切な処遇をするべきである。もちろん、信仰という意味ではなく、心理学的な象徴に対する意味だが。
いまの政治家や宗教者、また経済人も、その意味を理解する人は皆無だろう。残念至極。彼らが目覚めることが今後あるのだろうか…。

セミの幼虫が脱皮し成虫になる。
今日、セミの幼虫を見て、喜んだ小さな子どもたち。
この子どもたちの将来はどうなるのだろうか。
この酷い現状を見ようとせず、それを生み出した自らの罪も感じない社会はあまりにも異常だ。
子どもたちのために、われわれは、いますぐやるべきことをすぐさま、はじめなければならない。
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パン

Author:パン
玉城康四郎を尊敬する無宗派大乗仏教徒。一仏乗依拠。
終地の禅定を重視するが、多神教的であるアニマ・魂を尊重したい。また、自我の現実世界での役割も重視したい。
リベラル。無党派大衆運動を支持します。
会社員。

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