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謗法だ!カルマだ!というのは、きわめて怪しい。

謗法だ!カルマだ!といい、人を脅す宗教はきわめて怪しい。

彼らがいう、法とは、自身の信じる教えのことでしょう。
仏教のいう法とは、本来はダンマ。玉城康四郎のことばでいえば、形なきいのちそのもののこと。自身の体験によって知るべきもので、想像できないもの、未知のもの。一般に理解されているのは法とは教えであると。専門家もそのように説く。残念なことに、まったくダンマを知らない。体験することがないから、的外れなことを言う。

不幸な出来事にあう人に対し、それはカルマだとか、過去の因縁などとわけのわからないことをいう宗教がある。きわめて怪しい。
たしかに、仏教はカルマを説くが、カルマや因縁を正しく見るものは如来だけと説く。どうしたことか、このことを無視して、人の不幸を自業自得とか、過去の悪因縁などという。神や仏になったかのごとく。傲慢きわまりなし。というか、あまりにも愚かで、異常だ。このような愚かな考えは、人を脅かし、差別し、不幸な人をさらに酷い目に合わせる暴力そのものだ。
原始仏典のブッダは、業熟体は不可思議あるといっている。ダンマを十分に身をもって知るブッダでさえ、そのようにいうのに、なぜ、彼らはまるで、全知全能の神であるかのように、人を判断し、裁くのか。本当に愚かなことだ。

原始仏典のブッダのように終地に達しても、ダンマ、業熟体を法身である如来のように知っていることなどまったくありえない。絶対に。ただ単に、それを身をもって体験しているだけのこと。智恵が生じるなどありえない。私のままであるから。
体験して学ぶ。それが尊いこと。それだけのこと。ひたすら身をもってまなぶだけ。それ以上何があるというのか。
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パン

Author:パン
玉城康四郎を尊敬する無宗派大乗仏教徒。一仏乗依拠。
終地の禅定を重視するが、多神教的であるアニマ・魂を尊重したい。また、自我の現実世界での役割も重視したい。
リベラル。無党派大衆運動を支持します。
会社員。

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